上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
鞭に関する書籍を読み漁り、鞭の歴史を覗き込んでみると、 鞭打ちが宗教的儀式として行われてきた史実を確認出来る。 司祭や神官、神父に鞭打たれる事が多かったのであろうが、 中には自らの手で己を鞭打つ、という宗派もあった。 かつてキリスト教の異端派とされたロシア正教会のフルイストゥイ派 (自らに肉体的試練を意図的に与え、より高次の救済を得ようとした宗派。別名:鞭打派) は「汝の肉を試練にかけよ」の教義に基づき、自らを(またはお互いを)鞭打ったとされる。 ローマ・カトリック教会の組織のひとつであるオプス・デイ (Opus Dei)は、 鋲の付いたベルトで身体(主に脚部)を締め上げ、己の背を鞭打ったという。 彼らが何を欲し、願い、自らに苦行を課したのか? 罰あたりな鞭職人には知る由もないが、そこにはマゾヒスティックな歓びがあったのではないか?と思ってしまう。 己の性衝動を鎮める為に自らを打つ、その行為自体に性的な興奮を覚えていたとしたら・・・。 終わりのないパラドックスに身悶えする苦行者を想い、知らずと口角が上がる。 ここで「自らに対する鞭打ち」を現代のSMに当てはめて考えてみよう。 勿論、サディストが鞭柄を握りマゾヒストを打つと言う構図が理想的なのは言うまでもないが、 その鞭をマゾヒストに握らせ「命令」を与えたなら・・・ 少し離れたソファに身体をあずけてソレを眺めるとき、サディストはまた違った歓びを見いだせるのでは? その行為の真剣さ如何によって新たな罰、若しくは褒美を与えられるとしたらマゾヒストの心中は? 更にその行為が衆人環境で行われていたとしたら・・・。 嗚呼、世に妄想の種は尽きまじ。 っと、この辺で本分を取り戻して、その行為に最適な鞭の形状を考えてみる。 長さはさほど必要ではないので鞭穂は3~40cmで、編み込みバラ鞭風のを3~5本ぐらい。 グリップも邪魔になるだけなので省略。 金属のリングに鞭穂が直接付いてるようなデザインで、重心を若干先端よりに・・・。 ・・・コレ、ひょっとして持ち運びにも便利だ(笑)。 今度作ってみよう♪ COMMENT
こんばんわ。
マゾヒズトが打つ鞭の味というのも、またオツなものかもしれませね。M男が(命令されて)女王様を鞭打つというのは、SM的な倒錯でとても新鮮な感じがします。 今年のマイブームは「鞭」ということで、ひとつよろしくお願いします。
倒錯に次ぐ倒錯・・・ なんという厳しい命令でしょう。
しかしツボは心得ていたりするであろうところがミソですね。 うーん。 コメントする
この記事のトラックバックURL
http://momomutiblog.blog.2nt.com/tb.php/13-526b3817
trackback
|