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先のエントリで脳内麻薬に触れましたが、今回はもうちょっと踏み込んだ話を。
医師でも学者でもない人間の戯言ですので、どうぞ適当に御聞き流しの程。 「鞭打ちによる快楽と脳内麻薬の分泌」を語る上で重要なのは「β-エンドルフィン」。 これまで発見されている約20種類の脳内麻薬様物質の代表格であり、鎮痛作用はモルヒネの6倍以上。 連続する肉体的苦痛によって分泌され、鎮痛作用、多幸感をもたらすとされる。 「ランナーズハイ」に代表される苦痛を快感に変換しようとする脳内現象は、このエンドルフィンの分泌によるものという説もある。 回避出来ない深刻な肉体的ストレスにさらされた状態が続くと、 脳内にエンドルフィンが通常より多く分泌され、人は幸福感を感じる事が出来る。 つまり鞭打ち時には、緊縛、拘束具の装着等による肉体的な拘束に加え、 回数を決める、耐える事を約束させる等の精神的な束縛状態であることが望ましい。 鞭打ちを繰り返していくと(無論個人差はあるが)ある瞬間からマゾヒストの反応が劇的に変化する。 そこに辿り着くまで「耐える事」「耐えさせる事」が容易では無いのだが、それこそがSMの醍醐味ではないだろうか? 具体的な体感症状としては、「現実感の喪失」、「自己と外界を隔てる透明な壁のある感覚」、 「自分のことを遠くで自分が観察している感覚」、「自分の手足が消失する感覚」等が挙げられる。 この状態こそを「鞭酔い」と呼ぶ。・・・事にする。 効率良く脳内麻薬を分泌させる鞭の打ち方に関しては、ここでは言及しないが、 β-エンドルフィンを分泌させる方法をいくつか。 現在科学的に立証されているのは 「揚げ物などのカロリーの高い食事を摂る」 「熱い湯(40℃以上)に浸かる」 などを行った後、β-エンドルフィンの分泌が確認されているそうです。 つまり、セッションの前に「トンカツを食べて、熱いお風呂に入る」事により、より良いプレイになる。・・・のか? ちなみに通常の性交(何を以ってそう呼ぶのか分かりませんが)でも双方にエンドルフィンの分泌は行われるそうです。 嗚呼、人間は己の脳の奴隷なり。 なんかグダグダになってきちゃったので、他の脳内物質についてはまた今度。 鞭に関する書籍を読み漁り、鞭の歴史を覗き込んでみると、 鞭打ちが宗教的儀式として行われてきた史実を確認出来る。 司祭や神官、神父に鞭打たれる事が多かったのであろうが、 中には自らの手で己を鞭打つ、という宗派もあった。 かつてキリスト教の異端派とされたロシア正教会のフルイストゥイ派 (自らに肉体的試練を意図的に与え、より高次の救済を得ようとした宗派。別名:鞭打派) は「汝の肉を試練にかけよ」の教義に基づき、自らを(またはお互いを)鞭打ったとされる。 ローマ・カトリック教会の組織のひとつであるオプス・デイ (Opus Dei)は、 鋲の付いたベルトで身体(主に脚部)を締め上げ、己の背を鞭打ったという。 彼らが何を欲し、願い、自らに苦行を課したのか? 罰あたりな鞭職人には知る由もないが、そこにはマゾヒスティックな歓びがあったのではないか?と思ってしまう。 己の性衝動を鎮める為に自らを打つ、その行為自体に性的な興奮を覚えていたとしたら・・・。 終わりのないパラドックスに身悶えする苦行者を想い、知らずと口角が上がる。 ここで「自らに対する鞭打ち」を現代のSMに当てはめて考えてみよう。 勿論、サディストが鞭柄を握りマゾヒストを打つと言う構図が理想的なのは言うまでもないが、 その鞭をマゾヒストに握らせ「命令」を与えたなら・・・ 少し離れたソファに身体をあずけてソレを眺めるとき、サディストはまた違った歓びを見いだせるのでは? その行為の真剣さ如何によって新たな罰、若しくは褒美を与えられるとしたらマゾヒストの心中は? 更にその行為が衆人環境で行われていたとしたら・・・。 嗚呼、世に妄想の種は尽きまじ。 っと、この辺で本分を取り戻して、その行為に最適な鞭の形状を考えてみる。 長さはさほど必要ではないので鞭穂は3~40cmで、編み込みバラ鞭風のを3~5本ぐらい。 グリップも邪魔になるだけなので省略。 金属のリングに鞭穂が直接付いてるようなデザインで、重心を若干先端よりに・・・。 ・・・コレ、ひょっとして持ち運びにも便利だ(笑)。 今度作ってみよう♪ そもそも「鞭」とは何であるか、 動物、若しくは被支配階級の人間に対し、その筋肉、骨、内蔵に大きなダメージを与える事無く、 回復、治療が比較的容易な表皮を打つ事で効率的に苦痛を与え、屈伏、隷属、使役させる道具であり、 種類、用法によっては、肉体に不可逆的な損傷を与え、死に至らせることも可能な道具である。 その苦痛を肉体と脳に刻まれた対象には、空打ちによる風切り音、クラッキング音のみで「苦痛の記憶」 を呼び覚まし、あらためて打つことなく目的を果たすことも可能となる。 例えるならサーカスの猛獣使いの鞭がそれに該当する。 対人間用にのみ的を絞って話を進めると、 対象を死に至らしめる事無く苦痛を与え、鞭を握る者のコントロール下に置く。 出来るだけ最小限の労力で、出来るだけ強い苦痛を。 殺さずに。 ただそれだけの道具であれば、他の拷問器具同様に博物館でしか見ることの出来ないモノであったハズ。 何故、現在でも鞭が作られ、流通しているのか? 先人達が気付いてしまったからに他ならない。 支配階級の人間が(あるいは被支配階級にありながら、他の者より高い地位を持ち得た者が) 奴隷を鞭打つ過程で、気付いてしまった。 打たれる者の苦痛の先にある「何か」に。 当時は存在すら知られていなかった「脳内麻薬」の分泌による「鞭酔い」に。 苦痛から逃れる為に自らの脳内に麻薬様物質を放出し、鎮痛、鎮静を図ろうとする人体の神秘に。 気付いた者達は、本来打たれることのない身分の者同士で検証を開始する。 その瞬間こそが「SM」の誕生の瞬間ではないかと思ってしまうのは、鞭職人のエゴだろうか。 「より良く、より楽に」を求めて、人類は「道具」を創りつづけて現在に至っている。 ならば、現代社会における鞭職人の作るべき鞭は如何なるモノであるべきか。 「打つ方に愉しみを、打たれる方に鞭酔いを、そして両者に悦びを。」 桃太郎のモットーです。 ・・・で何が書きたかったんだっけ? |