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そもそも「鞭」とは何であるか、 動物、若しくは被支配階級の人間に対し、その筋肉、骨、内蔵に大きなダメージを与える事無く、 回復、治療が比較的容易な表皮を打つ事で効率的に苦痛を与え、屈伏、隷属、使役させる道具であり、 種類、用法によっては、肉体に不可逆的な損傷を与え、死に至らせることも可能な道具である。 その苦痛を肉体と脳に刻まれた対象には、空打ちによる風切り音、クラッキング音のみで「苦痛の記憶」 を呼び覚まし、あらためて打つことなく目的を果たすことも可能となる。 例えるならサーカスの猛獣使いの鞭がそれに該当する。 対人間用にのみ的を絞って話を進めると、 対象を死に至らしめる事無く苦痛を与え、鞭を握る者のコントロール下に置く。 出来るだけ最小限の労力で、出来るだけ強い苦痛を。 殺さずに。 ただそれだけの道具であれば、他の拷問器具同様に博物館でしか見ることの出来ないモノであったハズ。 何故、現在でも鞭が作られ、流通しているのか? 先人達が気付いてしまったからに他ならない。 支配階級の人間が(あるいは被支配階級にありながら、他の者より高い地位を持ち得た者が) 奴隷を鞭打つ過程で、気付いてしまった。 打たれる者の苦痛の先にある「何か」に。 当時は存在すら知られていなかった「脳内麻薬」の分泌による「鞭酔い」に。 苦痛から逃れる為に自らの脳内に麻薬様物質を放出し、鎮痛、鎮静を図ろうとする人体の神秘に。 気付いた者達は、本来打たれることのない身分の者同士で検証を開始する。 その瞬間こそが「SM」の誕生の瞬間ではないかと思ってしまうのは、鞭職人のエゴだろうか。 「より良く、より楽に」を求めて、人類は「道具」を創りつづけて現在に至っている。 ならば、現代社会における鞭職人の作るべき鞭は如何なるモノであるべきか。 「打つ方に愉しみを、打たれる方に鞭酔いを、そして両者に悦びを。」 桃太郎のモットーです。 ・・・で何が書きたかったんだっけ? |